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”甲子園球場”で熱気を感じよう

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大阪といえば甲子園球場です。熱気にゆれる甲子園球場でアルバイトをすれば、最高の思い出が作れますよ。

”天下の台所”の歴史を学ぼう

”天下の台所”の歴史を学ぼう

大阪は3万年前から人類が住んでいて、過去には都も存在するなど東京よりも歴史のある都市といえます。大阪の歴史を学ぶと、大阪人が誇りに思っていることや大切にしていることが解り、大阪人と付き合いやすくなるかもしれません。

3万年以上前から人が住む

大阪の土地は遥か3万年以上前から人類が住んでいた豊かな場所でした。旧石器時代や新石器時代を経て縄文時代になると、狩猟や採集をする人たちが大阪で暮らしていたことが森ノ宮遺跡の貝塚などに証拠として残っています。弥生時代になると大阪にも稲作文化が到来し、稲作を行い生活する人々が住みはじめ、多くの集落が出来ました。応神天皇や仁徳天皇の時代になると、大阪の港「難波津」が窓口となり大陸との文化交流や人材流入が進みました。現在も堺市に残る巨大な前方後円墳である仁徳天皇陵の規模からもこの時代の文化の発展具合が想像できるのではないでしょうか。

日本の中心だった大阪

645年の大化の改新により、豪族から天皇中心の時代を迎えると、孝徳天皇はそれまでの奈良の都飛鳥から大阪中央区の難波に都を移します。この時大阪が日本の歴史上初めて政治の中心になりました。都は奈良や京都へ譲りますが、この後も大阪が文化や経済の中心として発展し続けることになりました。
平安時代には熊野三山にある熊野神社などを訪れる「熊野詣」が盛んになります。大阪の渡邊津は熊野詣の起点となり、四天王寺や住吉大社などを経て熊野三山へ向かう「熊野街道」にはたくさんの人が往来しにぎわいました。
室町時代には本願寺が隆盛を誇り、戦国時代に天下統一を果たした豊臣秀吉は本願寺の跡地に壮麗な大阪城を築城します。この時大阪は政治的にも経済的にも日本の中心になります。特に豊臣秀吉は経済に力を入れて、日本各地から大阪に商人を集めました。海外貿易にも力を入れたため、大阪は日本で有数の経済都市に発展していきます。

上方文化の誕生

江戸時代になると政治の中心は東京に移りました。しかし大阪は「天下の台所」と呼ばれ、日本経済の中心的な都市として繁栄していきます。同時に大阪独自の文化も育まれていきます。「上方文化」と呼ばれるこの文化は、武士ではなく町人が中心になった都市ならではの独特の文化だといわれています。江戸時代の末期には教育も盛んになり、福沢諭吉を生んだ適塾が出るなどたくさんの私塾が大阪に誕生します。経済と学問が融合したのびやかな企業家精神はこの時代の大阪の豊かで開放的な空気が生んだものだといわれています。

世界的な大都市へ

明治維新が起こると、近代国家成立の過程で大阪の商人たちは大きな打撃を受けました。しかしこの後、大阪は工業都市として生まれ変わります。第二次世界大戦には空襲の被害も受けましたが、そこからも立ち上がり再び日本を代表する商業都市の地位を築いています。恵まれた立地を生かした流通で貿易都市として確固たる地位を築き、工業もますます発展させていきます。現在は商業都市としてだけではなく、人や物、情報が交流する世界的な大都市へと発展を続けています。

大阪人の常識を紹介します

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